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ジロロモーニインタビュー

2008年春、ジロロモーニ氏が来日しました。そこで、ジロロモーニ氏の素顔に迫ろうと、生い立ち、子ども時代から、村長を経て、有機農業と出会うまでについて話を聞きました。


  • 生い立ちについて聞かせてください
  • ジーノ01「我が家は先祖代々、農家です。祖母、父と母、弟と妹の6人家族でした。畑では、小麦や野菜、豆などを作り、牛も飼っていました。自給自足の暮らしで、パスタもパンも自分たちで作ります。幼い日の記憶として、パンの焼けるいい香りに包まれていたことを覚えています。大人になった時に、農民というものに強い憧れを抱いたベースはそんな原風景にあるのでしょう」

  • 子ども時代の思い出は?
  • 「幼い日の思い出は、悲しみとともにあります。あれは私が4歳の夏でした。日照りが続き、雨が降らないため、農作物がダメージを受け、牛にあげる牧草すら育たない状態でした。仕方がないので母と私は牛のエサとなる草を探しに、森へ出かけました。母は裸足でした。貧しい暮らしで、靴を買うことができなかったからです。運が悪いことに、森で足にとげをさしたのが原因で母は破傷風にかかってしまい、それからまもなく亡くなりました。弟が2歳、妹は1歳でした」
  • お母さんが亡くなった後は?
  • 「6歳になったとき、寄宿舎に入りました。寄宿舎は村から車で1時間もかかるペーザロの町にありました。父がきちんとした教育を受けさせようと考えてくれたのです。貧しい時代でしたから、お金はありません。母を亡くした子どもということで、福祉的措置として無料で寄宿舎に入ることができたのです。でも、私は寄宿舎での暮らしがつらくて仕方ありませんでした。言葉すら通じません。当時の私はマルケ語(イタリア、マルケ州の方言)しか話せず、同級生の標準語が理解できなかったのです。先生に『家に帰りたい』としょっちゅう、訴えていました。小学校から高校まで、家を離れて寄宿舎暮らしでした」
  • 高校卒業後はどんな仕事をしたのですか?
  • 「本当は教師になりたかったのですが、それがかなわず、1964年に高校を卒業した後、オートバイを作る会社に就職しました。エンジンの検査などの仕事をしていました。しかし、その仕事が好きになれず、じきに退職して、スイスに行きました。スイスではスキーを作る工場で働きました。やはり長続きせず、2ケ月後にイタリアに戻りました」
  • 村に帰ったきっかけは?
  • ジーノ02「22歳のとき、祖母が病気になりました。私は祖母の看病をかってでました。暖炉の前においたベッドに横たわる祖母の隣で、私は新約聖書を読んであげたりしました。新約聖書はそれまでもミサなどで触れていました。小学校時代はシスターが、中学校ではブラザー(神父)が身近な存在でした。でも、祖母に読んであげた時、それまで聞いたことのないような一節とたくさん出会い、それらの言葉がすっと身体に入ってきました」

  • 若くして村長になられたのですね
  • 「村長に立候補するように勧めてくれる人たちがいたからです。村に帰った私はちょっとした有名人でした。当時、貧しい田舎暮らしを嫌い、都会へ出て行く人が後を絶たない中、高校を出て村に戻る若者は珍しかったのです。いや、高校を出た者すら少なかった。だから、私に白羽の矢がたったのでしょう。それに、私は当時からちょっとしたカリスマ性がありました(笑)。おかげさまで、無事当選しました。23歳のときのことです」
  • 村長になってどんな仕事をしたのですか?
  • 「農民が次々と村を離れていった時代です。なぜ、そうなるのかを考えた末、農民のすぐれた文化や暮らしをみんなに知ってもらうことにしました。自分たちのしている農業が意味あることだと理解すれば、村にとどまる人が増えると思ったからです。そこで、それぞれの農家で代々、使ってきた道具などを集め、学校のスペースを借りて「農具展」を開きました。壊れかけた機織り機を直して、生地を作ったりもしました」
  • 反響はいかがでしたか?
  • 「メディアが取り上げてくれたため、文化人やマスコミの人たちの注目を集めました。そのネットワークが有機農業を広げていく上でのベースにもなりました」
  • 農具展を通してどんな発見がありましたか?
  • ジーノ03「子どもの頃からずっと、農民という生き方に惹かれていました。でも、なぜそう思うのかは自分でもよくわかりませんでした。村長になり、農具展を開き、その理由がわかりました。農民というのは、自分たちの知恵を世代から世代へ伝えてきた人たちです。道具を生み出し、作物も、生地も、何でも作ることができる。田舎は貧しいという人がいますが、それは間違っています。ほんとうの文化や知恵を持つのは農民であると知ったのです」

  • 有機農業と出会うきっかけは?
  • 「もともと、自然が化学物質で汚染されていく現状に対して、『森が泣いている』『大地が苦しんでいる』と痛みをからだで感じていました。そして、村長になり、農具展でさまざまな人たちと出会いました。その中にオーガニックに関心を持つ人たちもいました。そして、大きな出会いがありました。それは、修道院です。村の中に古びた修道院がありました。屋根は崩れ、廃墟同然でした。私は、何とか修復して、修道院に住みたいと思ったのです。そして、修道院に住んで何をしようかと考えた時に『そうだ、有機農業をしよう』と思ったのです。それは直感のようなものでした。キリスト教は、欧米人にとって精神的なベースです。日本の方にはちょっと理解しにくいかもしれません。これはまた別の機会にお話しましょう」