INTERVIEW
創始者インタビュー
2008年春、ジロロモーニ氏が来日しました。そこで、ジロロモーニ氏の素顔に迫ろうと、生い立ち、子ども時代から、村長を経て、有機農業と出会うまでについて話を聞きました。
生い立ちについて
聞かせてください
「我が家は先祖代々、農家です。祖母、父と母、弟と妹の6人家族でした。畑では、小麦や野菜、豆などを作り、牛も飼っていました。自給自足の暮らしで、パスタもパンも自分たちで作ります。幼い日の記憶として、パンの焼けるいい香りに包まれていたことを覚えています。大人になった時に、農民というものに強い憧れを抱いたベースはそんな原風景にあるのでしょう」
子ども時代の思い出は?
「幼い日の思い出は、悲しみとともにあります。あれは私が4歳の夏でした。日照りが続き、雨が降らないため、農作物がダメージを受け、牛にあげる牧草すら育たない状態でした。仕方がないので母と私は牛のエサとなる草を探しに、森へ出かけました。母は裸足でした。貧しい暮らしで、靴を買うことができなかったからです。運が悪いことに、森で足にとげをさしたのが原因で母は破傷風にかかってしまい、それからまもなく亡くなりました。弟が2歳、妹は1歳でした」
農具展を通してどんな発見がありましたか?
「子どもの頃からずっと、農民という生き方に惹かれていました。でも、なぜそう思うのかは自分でもよくわかりませんでした。村長になり、農具展を開き、その理由がわかりました。農民というのは、自分たちの知恵を世代から世代へ伝えてきた人たちです。道具を生み出し、作物も、生地も、何でも作ることができる。田舎は貧しいという人がいますが、それは間違っています。ほんとうの文化や知恵を持つのは農民であると知ったのです」
有機農業と
出会うきっかけは?
「もともと、自然が化学物質で汚染されていく現状に対して、『森が泣いている』『大地が苦しんでいる』と痛みをからだで感じていました。そして、村長になり、農具展でさまざまな人たちと出会いました。その中にオーガニックに関心を持つ人たちもいました。そして、大きな出会いがありました。それは、修道院です。村の中に古びた修道院がありました。屋根は崩れ、廃墟同然でした。私は、何とか修復して、修道院に住みたいと思ったのです。そして、修道院に住んで何をしようかと考えた時に『そうだ、有機農業をしよう』と思ったのです。それは直感のようなものでした。キリスト教は、欧米人にとって精神的なベースです。日本の方にはちょっと理解しにくいかもしれません。これはまた別の機会にお話しましょう」