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【50周年記念対談Ⅳ】作家・島村菜津さん③市場に先行し続けた歴史とこれからの新提案

ジーノには、体によいものを作ることを通じて、自然をも癒やしていくんだという気概がありましたね。

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50周年を記念して、創健社社長・中村靖が各界のLOVE > FOOD > PEACEを実践しておられる方々にお話を伺いにいきました。記念対談の第4弾はスローフード運動や、国内外のスローライフの取り組みの紹介者として知られるノンフィクション作家・島村菜津さん。第3回は、商品を通じて創健社の50年を振り返りつつ、日本にオーガニックは定着するのかという議論に及びます。

 

●プレミアム健康オイル市場を生んだ「べに花一番」

中村:50年前の創業の頃は、平屋の自宅に、父を同じく体を壊した人が2、3人、ボランティアのような形で手伝いに来てくれて、母も一緒にやっていました。私が最初に、電話の出方を覚えさせられたのは「はい創健社でございます」でした(笑)。今でこそ、スーパーでもコンビニでも「無添加」「オーガニック」の文字が当たり前に見られますが、当時はなかなか理解されず、すぐには受け入れられませんでした。

 

島村:いろいろな方との出会いでちょっとずつ、大きくなったんですね。

 

中村:最初のヒット商品は「べに花一番」です。創業後しばらくして父は、「この世界はアメリカやヨーロッパが進んでいるので、1回無理してでも見に行ったほうがいい」と言われて欧米を視察しに行きました。帰国後、「どこの店に行ってもサフラワーオイルが並んでいて、すごく売れている」と言って商品化に奔走しました。

当初「サフラワーオイル」という商品名の頃は、あまり売れませんでしたが、日本人になじみのある名前にしようと、べに花の一番しぼりという意味の「べに花一番」と名前を変えたあたりで、売れ始めました。ちょうどその頃、べに花油の成分が体にいいとマスコミにで何度も取り上げられて一気に火がつきました。

 

島村:それは何年ぐらいですか?

 

中村:サフラワーオイルが創業4年目くらいで、ヒット商品になったのは10年すぎた昭和50年過ぎです。べに花100%の植物油を、この市場に打ち出したのはうちが最初です。それまでは各製油メーカーさんも、サラダ油に一部、ブレンドして使っていたんですけど、べに花100%という売り方はしていませんでした。

 

島村:遺伝子組み換えの油の話が出て来た時に、動きがあったんじゃありませんか?

 

中村:べに花はもともと組み換えがないですからね。ただ、今も時々、お客様相談室に「このべに花は遺伝子組み換えしてませんか」と問い合わせが来ています。その後、オリーブオイルや、一時期話題になったエコナなどが出てきて、世の中に高級プレミアム健康オイルの市場ができました。ちなみに、近年オメガ3で話題のえごま油についても弊社は早くて、平成元年から売っています。

 

島村:私は、ふだんオリーブオイルを使っていますが、油で揚げ物をする時は、創健社だと知らずに「べに花一番」を使っていました。

 

中村:ご愛用ありがとうございます!

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島村:日本はもともと食用油を99%自給していたのが、戦後に、限りなく0に近づいていきます。実は、食をめぐる問題の中でも油はすごく大事なポイントなんです。お父様は「アメリカでこういうのが出ている、体にいいぞ」というのと同時に、日本の自給率の低下にも気づいてらっしゃったのかしら。

 

中村:きっとそうだと思います。私は4人目の社長なんですが、古くから父を知っていた3人目の社長が「この業界は体を壊した人や啓蒙普及運動から商売を始めた人が多いけれど、唯一創健社が他と違って伸びた最大の理由は、創業社長はやはり商人だった」とよく言っていました。そういう勘や見る目は、商売そのものが大好きだったおかげもあると思います。

弊社が平成6年に上場したのも先代の目標だったんですよ。先代の遺志を継いで、当時の社員が中心になって上場しました。父が上場を目指した理由は「健康食品や自然食品に対して、世間には眉唾ものだと思っている人がいる。市民権を得るためには上場するしかない」というもので、このあたりも商人の判断でした。

 

島村:創健社さんの商品の中では、べに花油が基本的には一番売れ線ですか?

 

中村:油だけでみたら、今はブームの影響もあって、えごま油のほうが売れています。ただ、加工食品を含めると、マーガリンやマヨネーズなど、べに花油のラインナップが豊富なので、今なお基盤となる商品です。マーガリンといえば、弊社のマーガリンは、トランス脂肪酸が少なくて、実際にはバターに含まれている自然のトランス脂肪酸よりも、うちのマーガリンの方が低いんですよ。

 

島村:バターに含まれているより低いんですか? それ知りませんでした! うちの姉は両方使ってますが、それは教えてあげなきゃ。

 

中村:ありがとうございます。実はそのことを書かせてくれないんですよ。マーガリン工業会でそれに触れるのはやめようという申し合わせになっているんです。創健社が自社の販促で言うのは構わないけれど、パッケージに書くのは勘弁してくださいと言われてきました。最近になって大手メーカーさんが低トランス脂肪酸のマーガリンの発売を発表しましたが、それでもまだバター並みです。創健社のトランス脂肪酸含有量はそれよりさらに1ケタ少ないということは声を大にして言いたいです。

今はありがたいことにSNSの隆盛があります。自分で自社の商品について自慢話を語ってもなかなか相手にしてもらえませんが、客観的な事実については、SNSを通じてみなさんに語っていただければと願っています。もちろん自社のFacebookやInstagramでも少しずつお伝えしていくようにしています。

 

島村:SNSの力は侮れませんからね。

 

●日本発の「オーガニックのその先」を提案する

中村:低トランス脂肪酸にしても、オメガ3にしても、オーガニックや無添加にしても、弊社は世の中の食品の市場よりも一つ先行してきました。これまで創健社は、すぐには見向きもされなくても、10年後にみなさんが常識としているような提案をしてきました。今はみなさんが追いついてきて、ここまで一定の役割は果たしたのかなと考えています。では次の50年、うちはどこへ向かうのかということを今考えているところです。ジロロモーニのパッケージに「オーガニックのその先」というスローガンが書いてありますが、まさしくそこだと思います。

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持論ですが、日本には今の形のオーガニックは定着しないと見ています。日本は仏教にしても自動車にしても、海外から来た思想や技術を日本風にアレンジして、別のものに変えていくのが得意じゃないですか。今は、ヨーロッパやアメリカから輸入したオーガニック思想を展開している段階ですが、これから時間をかけて「ジャパニーズオーガニック」という概念をつくって初めて定着すると考えています。

 

島村:それは今の形のオーガニックと何が違うと思いますか?

 

中村:基本的に、欧米のオーガニックは、食べ物の良し悪しよりも、環境問題としてスタートしています。そこが自然とともに生きてきた日本人になじみません。日本人は、食べ物が穫れたら村の神社にお供えして、神社を通して自然に感謝するお祭りをしてきました。環境問題から始まるオーガニックは、その感覚になじみません。そのためか、日本では「この食べ物はからだにいいか悪いか」「農薬の影響がどうこう」という個人レベルの話になりがちです。

 

島村: 自然とともに生きる未来を模索すれば、自ずとその間にある食を選ぶ基準は変わってきます。ジーノには、体によいものを作ることを通じて、自然をも癒やしていくんだという気概がありましたね。いろいろなオーガニックの団体がある中で、奇妙に彼に惹かれたのはその部分だと思います。彼は、カトリックだけれども、日本人とも共通する自然崇拝的な部分をすごく持っている人でした。

質の違い、その食品が支えている世界の差まで、買い手にわかってもらうのは、根気のいる作業ですよね。 よく「シェイクスピアなんて、9割の人はわからない。だけど5%の熱狂的なファンが常にいたので、シェイクスピアは巨匠であり続ける」と言われますが、本物のオーガニックもそれでいいと思います。まだ日本では圧倒的に少数派なので、減農薬も含めてそっちを向く人を増やせばいいし、国内の生産者を支えることが大事です。50年の歴史がある創健社さんは、そこを目指してください。中村社長のおっしゃる「ジャパニーズオーガニック」がどんなものになるのか楽しみです。

(この項、続く)

 

島村菜津さん:

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ノンフィクション作家。福岡県出身。東京藝術大学芸術学科卒業。イタリアの食を紹介した『スローフードな人生!─イタリアの食卓から始まる』(新潮文庫)は日本におけるスローフード運動のきっかけとなった本。著書に『フィレンツェ連続殺人』(新潮社、共著)、『エクソシストとの対話』(小学館、21世紀国際ノンフィクション大賞優秀賞)、『スローフードな日本!』(新潮社)、ジーノ・ジロロモーニへのインタビューを含む『スローシティ〜世界の均質化と闘うイタリアの小さな町』(光文社新書)他。最新作は『ジョージアのクヴェヴリワインと食文化: 母なる大地が育てる世界最古のワイン伝統製法』(誠文堂新光社、共著)