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【50周年記念対談Ⅳ】作家・島村菜津さん①日本とイタリアはそっくり? スローフード文化論

特に食べ物や農業・漁業に関してはイタリアと日本にはすごく共通項がありますね。

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50周年を記念して、創健社社長・中村靖が各界のLOVE > FOOD > PEACEを実践しておられる方々にお話をうかがいにいきました。記念対談の第4弾にご登場いただくのはイタリアの「スローフード運動」を日本に紹介し、その後も国内外のスローライフを丹念に取材してきたノンフィクション作家の島村菜津さん。まずは島村さんとスローフードの出会いからうかがいます。

 

●イタリアを知れば知るほど、日本が見えてくる

中村靖(以下、中村):設立50周年を機に、日本の食の今を見つめ直し、未来へのヒントをいただこうという主旨で、いろいろな立場の方にお話を伺っています。生産者さんとしては完全無農薬の有機農業にとりくむ「おひさまファーム竜土自然農園」の菅原文子さん、製造者さんとしてはまもなく創業230年になろうとしている老舗「笛木醤油」の12代目吉五郎こと笛木正司社長、そして流通としてはオーガニック・自然食品店をチェーン展開する「こだわりや」の藤田友紀子専務にお話を伺いました。

今日は、食の文化的な側面について教わりたいということで、島村さんに対談をお願いしました。スローフードやスローライフを日本に紹介したお立場から見えることや、共通の知人だったジーノ・ジロロモーニの思い出話など、お話ししたい話題がいろいろあって迷いますが、そもそも、島村さんがスローフードに注目したきっかけは何だったんでしょうか?

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島村菜津(以下、島村):イタリアには学生時代の1985年から通っています。最初の本(『フィレンツェ連続殺人』1994年)の取材のために数年間にわたって何度も長期滞在しました。その間、イタリアの街に教えられたことがあるんです。当時のイタリアでは、お皿の上のものと、それを作る人、生産者も、作物を運ぶ人も、加工する人も、料理人さんも、みんなつながりが見えたんです。例えばサラダにドレッシングをかける時に「胃の具合に合わせて自分で調合しろ」と言われて、それがすごく新鮮だったんですよね。学生時代、日本では市販のドレッシングが増え始めた頃で、私も珍しがって、どぼどぼかけてましたから。

 

中村:今とは真逆の生活をされていた。

 

島村:はい(笑)。イタリアでは「胃の調子が悪い時は、無理にドレッシングに酸を入れなくて、オリーブオイルと塩だけでいい。バルサミコ酢は酸が柔らかいからかけてもいい」言われたんですね。イタリアに滞在するたび胃の調子も良くなるので、何年かして気づきました。こういう風に食べれば、遺伝子組み換えの油も使わずにすむし、いろいろな意味で現場や素材が見えるんです。もちろん自分にとって体にいい食べ物を食べ続けることにつながります。そこがイタリアのすごくいいところだと思いました。それが、後に友人にスローフード運動の話を教わって本を書くということにつながりました。

 

中村:なるほど。スローフードというテーマはイタリアで暮らす中で自然と見つかったんですね。そう言えば島村さんは「イタリアについて詳しくなればなるほど、日本のこともよくわかるようになる」とおっしゃっていますね。

 

島村:スローフードの取材を始めた頃から、日本とイタリアが似ていると思うようになったんです。田舎に行くほど、日本人のように自然と調和するように暮らす人に出会えます。たとえば、ジーノ(・ジロロモーニ)はロジカルな人でしたが、彼も自然の中でのびのびと暮らしながら考えていたので、決して頭でっかちではありませんでした。

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イタリア人は、お天道様や草木、川、土などに強く愛着を持っています。自然と共にあるという土着の宗教観の方が、カトリックよりも染み込んでいる気さえします。私はまずそれが日本と似ていると感じました。だから「カトリックの国で一神教だから、日本と違う」という発想には納得がいかないんですよ。

 

中村:同感です。私は4年間ニューヨークで暮らしたことがあり、当時出会ったアメリカ人の高飛車な生き方が肌に合わず、すっかり海外嫌いになってしまったんですが(笑)、イタリアだけはなぜか嫌じゃないんですよ。ふだんは「お金と時間の余裕があったら日本を歩き回るほうが全然いい」と言っていますが、ジロロモーニの故郷イゾラ・デル・ピアーノ村だけは、機会があったらまた行きたいと思っています。あれはどうしてなんでしょうね?

 

島村:1つには「多様性」があると思います。かつて、内戦後の旧ユーゴの街を訪れたことがありますが、あっという間にファストフードやファッションなどのチェーン店が軒を連ねて、どこにでもある風景に変わり、街が子供っぽくなったようなつまんない感じがしました。本来、その土地らしいもの、その街らしいものがあるから楽しいんです。日本も同じで、それぞれが風土や風景やおいしいものを背負っているから、お互いに面白がれるのだと思います。

イタリア半島の面積は日本の3分の2ぐらいですが、そこにヨーロッパの農産物の多様性の半分が集中しています。その理由は、アルプスの雪山があって、半島の真ん中に尾根があって、多島海があって、シチリアのような亜熱帯の島もあって、非常に自然環境が多様なためで、そこも日本と似ています。日本人もイタリア人も地方性が豊かで、シチリアの人と、スローフード協会本部がある北の人では、感性も表情もかなり違います。特に食べ物や農業・漁業に関してはイタリアと日本にはすごく共通項がありますね。

 

●イタリアの在来種トマトに見るスローフードの力

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中村:食べ物では、私はどちらかと言うと和系が好きで、フレンチなどはあまり食べないのですが、イタリアの食べ物は、味付けにしても何にしても不思議と違和感がないですね。そう言えば、ジーノのところに初めて行った帰りに「アドリア海の魚を食べたい」と言ったら、ジーノが海沿いの店を勧めてくれました。ジーノの親戚だったか、知人のレストランで、海の幸にちょっと粉をつけて、オリーブで揚げただけの料理を「おいしい、おいしい!」とみんなで食べたことを思い出します。

 

島村:魚介類を楽しむのも日本と似ていますね。私がスローフードの本を書く2000年より以前は、日本の学者さんでも「西洋人はアミノ酸系の味はわからない」とか平気で言っていたんですよ。イタリアでは古代からガルムやコラトゥーラなどの魚醤を作っていたので、そんなわけがないんですが。海藻も食べるし、米もそばも昔から食べています。そんなこともあって最近はイタリアにも日本に惚れ込んでいる人が増えてきました。

 

中村:島村さんはイタリアのおいしいものもたくさんご存知なんでしょうね。

 

島村:「世界一美しい海岸」の名で知られるアマルフィ海岸という景勝地がありますが、その近くの「ピエンノロ」という在来種トマトがお勧めです。皮が薄くて酸味が強いんですが、追熟するんです。藁でしばって農家の裏庭に陰干しして、1〜2ヶ月置くと、緑や黄色混じりだったものが全体に綺麗な赤に色づきます。柿すだれのイタリア版ですね。真っ赤に熟して、下を子供たちが遊んでいたりして、夢に出そうな光景です。結構な値段ですが、買ってもらうには、一つ一つにかけた手間をわかってもらうしかなくて、そこは創健社さんの苦労と一緒です。この「ピエンノロ」が、今、シチリア産の有名ブランド「パッキーノ」の優位をひっくり返しつつあります。

 

中村:ひっくり返すには何が効いたのでしょう?

 

島村:地元の若い人たちが頑張ってツアーやお祭りを開催して、生産現場を知る人を増やしたことですね。農家のお母さんたちが裏庭で夫婦漫才みたいな掛け合いをしながらトマトを束ねている絵を見せたら、もう、買うしかないもの(笑)。食べ方も面白くて、いい塩梅に熟したピエンノロに、日本式の爪楊枝で表面にポンポンポンポンって穴を開けるんです。ジロロモーニぐらいレベルの高いオリーブオイルと、いい塩を使って、最後に半生にしたピエンノロを形が残るぐらい入れて、エキスだけ出してパスタに絡めたものは絶品です。

 

中村:聞いているだけで唾が湧いてきますね。この話を聞けば、多くの人がピエンノロを応援したくなると思います。そういう気持ちになるのも、元はと言えば島村さんが紹介したスローフードの考え方が日本にも根付いて、一つのライフスタイルとして定着したおかげだと感じます。

 

島村:ただ、テレビなどを見て、歯がゆい思いをすることがあります。いまだに「スローとは伝統を守るもので、新しい雇用や経済を産む世界の逆」という短絡的な捉え方をする人がいるんです。2000年に『スローフードな人生!-イタリアの食卓から始まる』を出してから18年も経っているのに、結構発信力のある立場の人がわかっていなくてがっかりします。食は、本質が何かを模索しながら、常に変化していくものです。決して50年前の食に戻れと言う話ではありません。それがちゃんと伝わっていなくて、まだまだ努力しなければと思っています。

 

●子どもの世代に伝えるには体験こそ重要

島村:小学校の2、3年の時に、私はクラス委員をやっていました。ある時、年配の女性の先生が、同じクラス委員をやっている男の子と二人で、田舎の農家の姉のうちに泊まりに来いって言ったんです。その日、五右衛門風呂を初めて体験して、自分たちでもいだトマトときゅうりを井戸水で冷やして、スイカも冷やして、という1日を、今もすごく鮮明に覚えているんですよ。たぶん先生は、サラリーマンのうちに育って、食べ物ができる現場を全く知らない私たちを見て、何か足りないな、教えてあげようと企てたのでしょう。

その時の井戸水の冷たさや、トマトの匂いを本当に覚えていて、イタリアの在来トマトを取材に行った時に、「この青臭ささだ!」と、懐かしくて涙が出るかと思いました。ああいう大人の粋な試み、計らいと言うのは大事だなと思って、うちの娘も小さい頃は農家民宿に随分連れて行きました。農家のおじいさん、おばあさんに預けて、畑で作物をもいだり、牛を触らせてもらったりしました。まだ効果がどう出るのかはわかりませんけれども。

 

中村:私は子どもの頃に苦い思い出があります。父がこの仕事を始めた時、私は小学校3年生だったんですが、ある日突然肉ダメあれダメこれダメ、玄米と野菜だけの食卓になって、給食がなかったので弁当も玄米と野菜。友達からは「それ何?」といわれて嫌な思いをするという生活がしばらく続きました。その反動で学生の頃は毒々しく赤いウインナーが無性に食べたくなるなど悪食に走ったので(笑)、ある程度の年になってからの子どもには無理強いはいけませんね。

だから、うちの娘が小さい頃は当然うちのお菓子やジュースを口にしていました、中学生になってからは友達とコンビニやファストフードの店にも入るのは特に止めません。大きくなったら知らん顔していた方がいいと思っていますし、話す機会があると保護者のみなさんにもそう言っています。ただ娘は、ファストフードの店に入っても、コーラやサイダーではなく100%ジュースを飲みたがりますし、他社のポトテチップスを買ってきても、創健社の薄塩やノンソルトのポテトチップスのほうがいいかなって言ってくれます。

 

島村:娘さん、レベルが高いですね! 小さい頃にスローフードな体験があれば、大きくなってからはどこかで大事な時に違いが出るんでしょうね。私も子どもには無理強いしないことに賛成です。ところで、実は私の方でもうかがいたいことがあるんです。創健社さんのウェブサイトを拝見しながら、いつも思っていたことですが、お父様のご病気が創健社が生まれるきっかけになったという話を、詳しくお聞きしたいのですが、よろしいですか?

 

中村:もちろんです。

(この項、続く)

 

島村菜津さん:

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ノンフィクション作家。福岡県出身。東京藝術大学芸術学科卒業。イタリアの食を紹介した『スローフードな人生!─イタリアの食卓から始まる』(新潮文庫)は日本におけるスローフード運動のきっかけとなった本。著書に『フィレンツェ連続殺人』(新潮社、共著)、『エクソシストとの対話』(小学館、21世紀国際ノンフィクション大賞優秀賞)、『スローフードな日本!』(新潮社)、ジーノ・ジロロモーニへのインタビューを含む『スローシティ〜世界の均質化と闘うイタリアの小さな町』(光文社新書)他。最新作は『ジョージアのクヴェヴリワインと食文化: 母なる大地が育てる世界最古のワイン伝統製法』(誠文堂新光社、共著)