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【50周年記念対談Ⅳ】作家・島村菜津さん②創健社設立前史から島村さんの新作まで

農産地も訪ねました。命がけで食べ物づくりに取り組む人たちにたくさん会って来ました。

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50周年を記念して、創健社社長・中村靖が各界のLOVE > FOOD > PEACEを実践しておられる方々にお話を伺いにいきました。記念対談の第4弾はスローフード運動や、国内外のスローライフの取り組みの紹介者として知られるノンフィクション作家・島村菜津さん。連載第2回は、島村さんの質問がきっかけで、話題は創健社の設立以前の話に遡ります。

 

●創健社前史:創業者社長の闘病体験

中村:父が病気になったのは32、3歳の頃で、当時すでに今とは別な会社を起こしていました。父はもともとプラスチック成型の業界でサラリーマンをしていたのですが、結婚後、28歳で独立したのです。夫婦だけでなく両親と未成年の弟妹を養う立場だったので、勤め人でいるより独立した方がいいと判断したようです。時代は高度成長期で、仕事もどんどん入って、怖いものなし。調子に乗って暴飲暴食の挙句に体を壊してしまいました。

60年近く前のことで、当時の医学では治るあてがない病気でした。2年ほど入院している間に会社は、任せていた人にお金を持ち逃げされてダメになって、さすがに精神的にもきつくなったそうです。母が先生に相談したところ、家に帰った方が本人の気分も晴れるだろうということで退院して来たんですよ。事実上、もうあまり長くないとお医者さんに見離されたわけです。

 

島村:30代。そんなお若いころの話だったんですね。

 

中村:父の病気がわかったのが、私を私立小学校に受験させるかどうかという頃で、父も入院を前に迷ったそうです。その時、母に「お金はなんとかするから、受けさせてくれ。こいつが受かるか受からないかに、俺もそのあとの人生をかけたい」と言ったそうなんですよ。「こいつが受かったら俺もちょっと、もうちょっと頑張ってみる」って。

 

島村:すごい。中村少年が合格していなかったら、この創健社はなかったかもしれないんだ!(笑)

 

中村:退院後、父は藁にもすがる気持ちで民間療法や宗教を片っ端から試したようです。後になって「俺は有名な宗教団体は全部1回会員になっているから」と自慢していました。いろいろ試した上で、最終的に気づいたのが「結局、人間の体は食べ物でできている。だからいい食べ物を食べないといい肉体はできないし、いい精神もできない」ということで、今でも弊社の社是や経営理念の元になっています。

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創健社の前に、まずハウザー食品普及会神奈川支部というものを始めました。本人も先は長くないと覚悟していたので、ビジネスが目的というよりも、身体のためと、働いて気を紛らわすためだったようです。ただ、仕事を通じていろいろな人と知り合って、食に対する思いが強まり、「地方を回るといい食べ物がいっぱいあるのに、知られないまま大資本に潰されて行くのが見ていて忍びない、紹介したい」と考えるようになったようです。

 

島村:時代もちょうどそういう時期ですね。

 

中村:はい、食品が工業製品化されて来た時代です。これに対して父は、みなさんが心を込めて作ったものを集めて紹介できないかと考え、昭和43年、自宅を使って始めたのが株式会社創健社です。「有理創健」と書いて「理(ことわり)をもって心身経済のすこやかさを成す」という社是が社名の元になっています。

 

●病気をきっかけに見つけたもの

島村:中村社長はまだお小さかったでしょうけれども、お子様の立場から見てらして、病気をされて退院してきた後のお父様の様子に何か変化はありましたか?

 

中村:病気をしてからやっぱり変わりました。からだを壊すまでは、まず家にいない人でしたが、退院後しばらくは毎食、家族で食べていたので大きな変化です。母の後日談では、以前はたまに父が家でご飯を食べる時に、私と3つ下の妹がふたりでじーっと父親を眺めて、「ママ。パパが家でご飯食べるっておかしいよ」言ったくらいだそうです(笑)

 

島村:そんなにいなかったんだ!

 

中村:宗教団体のはしごもありましたが、神道で落ち着きました。今も会社に「神殿」が残されていて、見よう見まねで毎朝祝詞をあげています。私自身は特定の宗教を信じているわけではありませんが、仕事上、食べ物に気を使う多くの宗教団体さんとお付き合いがありますし、家はもともと浄土宗で、私はカトリック系の小学校、浄土宗系の中高一貫校に通っていました。

だからということでもありませんが、宗教には寛容なつもりです。個人的にはどの宗教も先にあるものは同じものじゃないかと考えていて、ジーノが来社した時には「神殿」を見てもらいました。彼は敬虔なカトリック信者ですが、決してそれを人に押し付けるようなことをしないで、私の信じているものをすごく尊重してくれました。

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島村:そこはジーノとも話が合ったでしょうね。イタリアはカトリックの国ということになっていますが、調べていくと古代のローマ帝国時代以来の多神教の神様がいろいろな形で残っていて、そういうところは日本と似ています。お話を伺うと、お父様は、お医者さんにいろいろ言われながらも、ずいぶんと長生きされたんですね。

 

中村:そうなんです。あと数年と言われながら、37歳で会社を始めて60歳で亡くなっているんです。知らない方からは「健康食品を扱っているのに案外早く亡くなっている」と言われることもありますが、家族や父親の昔を知っている人には「よくそこまで生きたね」と言っていただきます。それはこの仕事を見つけたことと、本人が信じるものに巡り合ったおかげじゃないかなと思っています。

 

島村:実は私もちょっと体を壊したんですよ。幸いグレードは低かったのですが、2011年に乳がんになって、潔く両方切って再建したんです。化学薬品も飲む覚悟でいましたが、大袈裟に切ったので化学療法も放射線療法も一切なく、ちょっと肩透かしなくらいでした。そんなこともあって、食のことをもう一回自分の中で見直す機会にもなりましたが、せっかくの人生、どうせなら生活をうんと息抜きしてやろうと、数年間、本当に仕事をしませんでした。貯金を食いつぶして、銀行の通帳を見て頭が真っ白になりました(笑)。

 

中村:それはまた徹底していますね!

 

島村:病気をする前は、あちこちずいぶん回りました。イタリアのスローフードがらみの農産地も訪ねました。アフリカでは目の前にいる子どもたちの5人に1人が5歳まで生きないという状況を見てきました。グアテマラでは一家離散に追い込まれるコーヒー農家の家族に会いました。ここでも犠牲になるのは子どもたちです。ジーノに輪をかけて命がけで食べ物づくりに取り組む人たちにたくさん会って来ました。いまは元気もエネルギーも溜まりに溜まっているので、今まで見て来たところも含めて文章の形にしていきたいなと思っています。

 

中村:楽しみです。今はどんなものを書いておられるのですか?

 

島村:今まとめているのはシチリアが舞台です。大農場主のマフィアから没収した土地を、オーガニック農場に生まれ変わらせるといった活動をこの数年取材してきました。そこにはイタリアの南北経済格差がからんできます。大量生産と大量破棄をする北に、南はパラサイト(寄生)していると言う人がいますが、とんでもありません。歴史的に、文化は全部南からやって来て、イタリア農業の発達も、全部アラブ人が持って来てくれたものです。古代ローマもシチリアなどを小麦倉庫にして、繁栄したわけですよ。新作では、そのような南北に関する偏見も解消したいと思っています。

(この項、続く)

 

島村菜津さん:

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ノンフィクション作家。福岡県出身。東京藝術大学芸術学科卒業。イタリアの食を紹介した『スローフードな人生!─イタリアの食卓から始まる』(新潮文庫)は日本におけるスローフード運動のきっかけとなった本。著書に『フィレンツェ連続殺人』(新潮社、共著)、『エクソシストとの対話』(小学館、21世紀国際ノンフィクション大賞優秀賞)、『スローフードな日本!』(新潮社)、ジーノ・ジロロモーニへのインタビューを含む『スローシティ〜世界の均質化と闘うイタリアの小さな町』(光文社新書)他。最新作は『ジョージアのクヴェヴリワインと食文化: 母なる大地が育てる世界最古のワイン伝統製法』(誠文堂新光社、共著)