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【50周年記念対談Ⅱ】製造者・笛木正司さん③コラボレーションが生む新しい発想

大きな変革をやっていかないと生き残っていけないなと感じています。

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50周年を記念して、創健社社長・中村靖が各界のLOVE > FOOD > PEACEを実践しておられる方々にお話を伺いにいきました。笛木醤油12代目笛木吉五郎さんとの対談の第3回は、無添加やオーガニックが広まる市場環境への対応、創健社と笛木醤油のコラボレーションのあり方などを語り合います。

 

●文化を守ることと、新しい挑戦のバランス

中村:今、なかなか皆さん料理をしないから、基礎調味料が売れないでしょう? 醤油でもお酢でも、最大手のメーカーさんも醤油加工品やお酢の加工品をいっぱい作っていますが、笛木さんはどんな風に考えていますか?

 

笛木:おっしゃる通りです。笛木醤油もここまで続いて来られたのは、醤油という軸を大切にしながら、万能だしの春夏秋冬だしの素や、ごまドレッシングを開発したり、醤油のおいしさをうどんのつゆで伝えるうどん屋をやったり、様々なチャレンジをして生き残っているようなところです。

危惧しているのは、醤油の出荷量が私が生まれる前の1973年がピークで右肩下がりで減っていることや、30代以下4割がだしをとったことがない、味噌汁を作るのにだしが必要というのを知らない層が増えている状況です。そんな中で、笛木醤油としても日本の古き良き和食の発酵文化やだしの文化を、いかに発信して行くかという必要性を感じています。

 

中村:だし文化や発酵調味料を残して行かなきゃいけないとは思いつつ、味噌汁をだしから作る時代ではなくなってしまいました。笛木社長もお子さんがいらっしゃるからわかるでしょうけれど、どこの親御さんも子育てに時間をとられています。昔のように学校から帰ってきたら勝手に外に行って遊ぶような環境がなくなってしまいました。習い事や塾の送り迎えもあって、家にいるお母さんでも料理に使える時間は30分程度です。文化を残しつつ、なるべく簡単に食事を用意できるものを、創健社としても開発して提供しなきゃいけないと考えています。

 

笛木:今、笛木醤油で新しい切り口として考えているのは、地元とコラボレーションです。うちの川越のお店に外国人観光客が非常に増えていて、発想の転換としてそういうインバウンド向けの商品開発を考えていました。実は、すでに川越の和菓子屋さんと、東京国際大学とコラボレーションでやらせていただきました。結果、醤油のかき氷ができたところ、川越の新しい新名物みたいになって反響がすごかったです。他社さんからも真似をされました(笑)。

過去には醤油もなかアイスなども出しましたが、今までつながっていなかったところからいろいろな発想を得て、新しい何かが生まれるんじゃないかと期待しています。あとは川越に来て頂いたお客様に、いかにコトの体験をしてもらうかという話で、この本社や川越店でお客様に体験していただいて、究極のユーザー体験というのを目指して行きたいなというふうに思っています。

 

●最先端と伝統のコラボレーションをめざして

中村:一昔前はどこのお醤油屋も当たり前にやっていたことが、ある時から食べ物の全てが工業製品のように作られるようになって、いつしか当たり前だったことが、当たり前じゃなくなってしまった。逆に、添加物を使って、簡単で安くて味や見た目が揃って長持ちするものが、当たり前のようになってしまった。ちょうど50年前、私たち自然食品業界のやり始めの頃なんて「なんか怪しいことを唱えている人がいる」ぐらいの目で見られていました。それが今や、スーパーでもコンビニでも無添加だ、オーガニックだと謳っています。

そういう意味ではこの50年間、創健社がやってきたことは間違いじゃなかったし、食品の最先端をひたすら走り回っていたんだろうなと思います。今、皆さんそこに追いついて来ましたが、競争相手が増えたとか、大手相手に戦わなきゃとか言うのではなく、これだけみんな大騒ぎしてくれているということは、興味を持ってくださる消費者がますます増えていくというふうに捉えて、創健社は「怪しいことを唱えている」と思われるくらい、いつも先を走っていなきゃいけないなと考えています。笛木さんみたいに200年以上、伝統を守って来た企業さんとは微妙に考え方が違うところかもしれませんが。

笛木:私も個人的には変化はチャンスだと思っているので、その変化にいち早く対応できる柔軟な発想と言うのを常に持たなきゃいけないなと。例えば笛木醤油がオーガニックの原料を仕入れてお醤油を作るなら、原料を仕入れやすい海外で作ってもいい。社員には「何を言っているんですか」と思われるかもしれませんが、もうそういう時代に来ている、そういうことも含めて大きな変革をやっていかないと生き残っていけないなと感じています。

 

中村:うちも将来はオーガニック商品を海外で作って、半分は海外で売りさばいて、半分は日本に持ってきて売りさばくようなことを考えてもいいよねと社内で話しています。創健社の周りには笛木さんと同じ思いで商品を作っているメーカーさんがいっぱいいらっしゃいます。創健社は、そういう人たちと手を取り合いながら、大きなイメージで食文化を残す食のプロデューサーでありたいと思っています。5年後、10年後、20年後の世の中のライフスタイルと食生活がどう変わっていくかというのを絶えず想像しながら、我々がハブになってみなさんの力を合わせて総合力を引き出すようでなければと考えています。

そのためには、社員一人一人がプロデューサーとして、営業ならどうやって皆さんにそれを知らせていくか、商品開発はこれから5年後10年後、皆さんに受け入れていただける商品はどんなものなのか、内勤の人たちは縁の下の力持ちで支える環境は何か、この3つで創健社全体が食のプロデューサーとして、伝統を受け継ぎながらさらに日本の食文化のを広めるには、こうじゃなきゃいけないんだというその中心に創健社がいられたらいいなと考えています。2018年、50周年を新たな創業元年と位置づけて、100周年の頃には創健社が日本の食文化の中心にいるという決意です。

 

笛木:聞いた話で、昔はソフトボールの交流試合をやったりしたそうですし、わたしも一緒にフットサルをやらせてもらったことがあります。こんな時代だからこそ、そういった交流をさせていただいて、お互いがよりタッグを組んでというかスクラムを組んで、新商品開発を含めてお互い発展していきたいなというふうに思っております。

 

中村:ぜひぜひ、こちらこそお願いしたいです。今日のお話を聞いていると笛木さんは大丈夫そうですが、伝統のある会社さんは時々伝統を守るあまり、世の中の変化に気づけないことがあるので、そうならないようにだけ気をつけていただきたいです。そういう面でも我々はあちこち広く飛び回って仕入れた情報を、交流などを通じてお伝えしていければと思います。笛木さんは来年230年を迎え、守るべきものと変わるべきことというのは頭の中に置いて、さらに250年、300年を目指していただきたいなと応援しています。

  

笛木:ありがとうございます。

 

中村:今日は貴重なお話をありがとうございました。(この項終わり)

笛木醤油

創業は寛政元(1789)年。伝統的な醸造方法を守り続け、厳選された丸大豆、小麦、天日塩のみを原料とし、大きな杉の桶で1年から2年かけてゆっくりと発酵熟成。中でも「金笛」の名で知られる濃口醤油「金笛醤油」「金笛丸大豆醤油」は、二夏を通し、時間と共に塩のかどがとれて丸くなり、醤油本来の旨味が引き立っています。